早春のある日。 大海原に一隻の海賊船が浮かんでいた。 船首に女神の半身像が飾られた、その船の名はスイートマドンナ号。 クレイジーストーンヘッドの二つ名を持つ、キャプテンバーツの船だ。 スイートマドンナはマストに風を受けて順調に航海を続けているのだが、バーツはどうしたことか甲板をウロウロウロウロ。一向に落ち着かない。 時折立ち止まったかと思えば右手に握った小さな包みを見つめ、ニヤニヤと相好を崩し、また歩き出す。 朝からその繰り返しだった。 そんなバーツの手に握られた包みの中身はチョコレート。 何故大の男がそんな物を握りしめているかというと……。 宰相ランコットのクーデターを食い止め、新たな歴史を刻み始めた王国ラーアジノヴ。夫を見送ったロザーナがまず始めにしたことは、白無との戦いであちこち崩れた王宮の修理だった。 化獣の攻撃で崩れた瓦礫を取り除き、新たに立て直す。国民の精力的な活動により、数週間程度で城はほぼ元通りの姿を取り戻した。 一部が綺麗になれば、全体を直したくなるのが人の常。 王宮から少し離れた場所に建っていたため戦いの被害が及ばなかった塔も、ついでとばかりに片付けられることになった。 そこは書庫として使われており、古今東西、様々な文献が収められていた。 書物に興味のないロザーナにとっては、ほとんど初めて足を踏み入れる場所だった。 少々埃っぽいが整然と並んだ本棚の一角に、ラーア王家に関する書物が集められていた。 いくつも並んでいる古めかしい背表紙の一冊を、ロザーナは何の気なしに手にとった。 パラパラとページをめくる。 と、とあるページで手が止まった。 其処は数代前の国王と王妃の婚姻秘話が記されいるページだった。 ――当時の国王がまだ王太子だった頃。 年頃になった彼は、伴侶にと望む女性にプロポーズする方法に頭を悩ませていた。 相手は幼いときから共に育ち、気心の知れた女性。あえて口に出さずともお互いの気持ちは通じており、今更面と向かって告白するのも照れくさい。 かといって、国を束ねていく立場の者が人づてに求婚するのも外聞がよくない、ということで何かいい方法はないかと考えあぐねていた。 そして思いついたのは。 甘い物が何よりも好きな彼女に、プロポーズの言葉を書いたチョコレートをプレゼントする、と言うものだった。 だがその当時、チョコレートは他国で作られ始めたばかり。チョコの一欠片は同じ大きさの宝石と同等の価値があると言われていたほど貴重な物で、王族といえどもおいそれと口に出来ぬ物であった。 しかし、王太子は諦めなかった。愛する人のためにありとあらゆる手を尽くし、やがて両の掌に載るほどの大きさのチョコレートを取り寄せたのだった。 送られたチョコレートの大きさに驚き、思いがけない愛の告白に感激した彼女は王太子のプロポーズを受け入れ、二人はめでたく結ばれたという。 「なんて素敵なの・・・・・」 本を胸に抱き、ロザーナは瞳を閉じてうっとりと呟いた。 結婚して王妃となったとはいえ、ロザーナも一人の女性。 ロマンティックなその逸話に胸をときめかせるのもいたしかたないことである。 ロザーナは早速その曰くの日を【想う人にチョコレートを渡して愛を告白する日】と定め、(国王の名にちなみ、『バレンタインDAY』と名付けられた)国中におふれを出したのだった。 そのおふれを南のとある街で見つけたバーツは躍り上がらんばかりに喜んだ。 なにせキャプテングラフに心を奪われて以来ン年間。 何度も勇気を出してさりげなく(!)告白してきたが、鈍いグラフに全く気づいてもらえぬまま、片思いに甘んじてきたのだから。 こんな美味しい行事が始まったとあれば、利用しない手はない。 いかにニブイグラフといえど、チョコレートを渡されては誤解のしようがないはず。 バーツは即座に近くの店に飛び込んでチョコレートを買い、補給もそこそこにアーバランへむけて出港したのだった。 そして今日は待ちに待ったバレンタイン。 朝から落ち着きがないのも仕方のないことといえる。 バーツはチョコを握りしめ、女神像の上に立つと、 「グラフ、待ってろよ〜〜〜〜〜〜!! 2人でチョコよりも甘い夜を過ごそうぜ!!!」 両手を振り上げ、空に向かって思いっきり叫んだ。 この船には彼以外にも7人のクルーが居るのだが、そんなことはお構いなしである。 バーツは完全に自分の世界へとトリップしていた。 そんな彼の姿を複雑な思いで見つめる男が一人。 舵を取っているバクチだ。 (……座礁させてやろうか……) などと危ない考えがついつい脳裏を掠めるが、実際そんなことが出来るはずもない。 バクチは切なげなため息を吐くと、そっとズボンの後ろポケットに触れた。 そこには、昨晩皆が寝静まったあとこっそり作ったチョコレートが、丁寧にリボンを掛けられ収まっていた。 さらにスイートマドンナの後方に設置された長距離砲の上では、小さな箱に入ったチョコレートを握りしめ、控えめに気合いを入れるデッドの姿もあった。彼もいつしかグラフに惹かれていたらしい。だが何事にも控えめな彼は、今まで自分のキャプテンであるバーツに遠慮して、一切モーションを掛けなかったのである。 三者三様。それぞれの想いを乗せて、スイートマドンナはどんどこアーバランへと近づいていくのだった。 日暮れも近くなったころ。 いよいよアーバランの港が見えたとき、バーツはその目を疑った。 どうみても海賊船にしか見えない船が、港に所狭しと繋留されていたからだ。 しかも入り江には白く巨大な船まで停泊しているではないか。バーツはその船を幾度となく眼にしたことがある。 白無、となのるオールドブラッドの集団の船、白城だ。 急いで港に船を付けると、ハシゴを下ろすのももどかしく、バーツは船から飛び降りた。そのままの勢いでクロウバード号へ向かって走っていく。 クロウバード号の周囲にはなにやら黒山の人だかりができており、名も知らぬ海賊たちがてんこ盛り。 「どけ、どけ!」 人だかりをかき分け、かき分け。時々エルボーやバックドロップをかましたりしながら進んでいく。ようやく拓けたその先には、両頬に大きな傷を持ち、尊大なオーラを周囲に放ちまくってる男が立っていた。 白無の頭、ラグ・ローグその人だ。 ローグはバーツをじろりと睨め付け、 「久しぶりだな、愚弟」 冷たい一言。 「ラグ!!なんでアンタまで此処に居るんだ!!?? それにこいつらは一体なんなんだ?」 「ほお・・お前は知らないのか?」 挨拶もすっ飛ばし捲くし立てるバーツに、ローグは冷ややかな視線を送っている。 「だから何がだ!?」 「俺はこの情報に招かれてここに来たのだが?」 ローグはポケットから一枚の紙片を取り出すと、それをピラリと広げてバーツの鼻先に突きつけた。 「ん?」 寄り目になって目の前の紙片に焦点を合わせるバーツ。 『クロウバードのキャプテングラフを求める者は、バレンタイン当日、日没までにチョコレートを持ってアーバランに集まられたし』 と記されていた。 「だ、誰だー! こんなのをばら撒きやがった奴は!?」 「3流……いや、あの男の、ファルコンを見極める眼は俺にとって益となる。手に入れて損はないだろう?」 チラシをビリビリと破り捨てて怒り狂うバーツにもまったく動じることなく、ローグはしれっと言い放つ。 「グラフは俺のもんだぁあ!!」 「ジョン。お前の物は俺のモノだって事を忘れたわけではあるまい」 「いつそんなことになったぁああああ!!!」 バーツの叫びもなんのその。ローグは相変わらずのジャイアニズムを発揮している。 「皆さんおそろいになりましたか?」 クロウバード号の甲板から涼やかな声が響いた。ざわついていた周囲が水を打ったように静かになる。 一斉に集まった視線の先には、金色の髪を結い上げた一人の淑女が立っていた。 淑女は人々の視線に臆することなく、美しい微笑を湛えて梯子を降りてくる。 地上まであと数段、となったとき、梯子のすぐそばに立っていたローグがごく自然な動作で手を差し出した。 その手をとり、優雅な挙措で地上へ降りる。 「ありがとう」 ローグにエスコートの礼を述べると、夫人は海賊たちに顔を向け、 「ようこそおいでくださいました。私が今回のゲームの主催。キャプテングラフの母です」 静かな声で宣言した。 ざわめきが再びあたりに広がる。 「ゲーム?」 人だかりのどこからか声が上がった。 「そう。ゲームです。 ここいる方々は皆キャプテングラフを求め、集まった方とお見受けします。 ですが、キャプテングラフは一人だけ。よって、チョコを渡す権利をかけてゲームを行います。・・・・納得いただけましたか?」そこまで言って言葉を切った。 辺りから何も声が上がらないのを確認し、夫人は再び口を開いた。 「それではルールの説明に・・・」 「ちょっとまった」 一人の男の声が、夫人の声を遮った。人々を押し分け現れたのは、タバコをくわえて長いバンダナを 額に巻いた、片腕の男。 ズボンのファスナーは半開きで、若い娘にはセクハラ一歩手前のような姿だ。 ポーズをつけている男の背後では、ぜーぜーと息を切らせているクルーの姿が。 「俺を忘れてもらっては困るな」 「お前……」 バーツは突然現れた男の顔を呆然と見つめている。 「ひさしぶりだな、クレイジーバーツ。……どうした?俺が恐ろしくて言葉も出ないか?」 男は胸を張り、鼻の穴をひろげて得意げに言った。 「・・・・お前・・・・・・誰だっけ?」 「ナッツだよ!!」 「あー! あー!!思い出した! ダイヤモンドサーペントのチンピラ君か!! いや〜〜、ダイヤモンドサーペントの情報なんてこれっぽっちも耳に入ってこねぇから、すっかり忘れちまってた」 バーツはナッツの両肩をバンバンたたいて大笑いする。 「ぐぐぐ・・・・」 怒りにナッツの顔が真っ赤になる。だがダイヤモンドサーペントの船長になってからこっち、目立った海賊行為を起こしていないのだ。邪気なく笑うバーツに反論できない。 「マックス! 親友が笑いものにされているのに、お前はなんともないのか!? こいつに何か言いやがれ!」 「まあ落ち着け、落花生」 「落花生違うわぁぁあぁぁl!!!!!!」 取り成すバクチに落花生呼ばわりされ、ナッツは更にぶちぎれる。 この場にちゃぶ台があれば、星一徹並のすばらしいちゃぶ台返しが見られたこと間違いない。 「お前らいい加減にしやがれ! いいか、俺がここに来たのは・・・・・!」 「告知状には、時間厳守で、と記入していたはずですが?」 怒り狂うナッツを、グラフ夫人の声が穏やかに遮った。 夫人の声に言葉を飲み込んだナッツは一瞬バツが悪そうな表情を浮かべたが、咳払いをひとつすると 「真打は常に遅れて登場するものだ」 胸を張っていった。 ようやく息を整えた副長が夫人に近寄り、なにやら耳打ちする。 「まぁ。座礁したのですか?」 「言うんじゃねぇ!副長に怒鳴りつけたナッツだったが、 「ダイヤモンドサーペント号の救助には後ほどクロウバード号を向わせます。それでよろしいですね?」 「お、おう……」 夫人の、静かな、それで居て有無を言わせぬ響きに、先ほどまでの勢いは一瞬にして霧散してしまった。 「それでは本日のルールを申し上げます。 リミットは今夜12時。それまでにこの街の何処かに隠れたあの子を見つけ、チョコを渡してください。ただし、クロウバードのクルー、街の有志たちによる妨害ももちろん行われますので、チョコを奪われた方は失格となります。 勝者には、あの子を自由にする権利を差し上げます」 その言葉を聞き、集まった人は皆ガッツポーズをする。 が、慌てたのはバーツだ。 「グラフ夫人!! グラフと俺の仲を認めてくれたはずじゃなかったんですか!!??」 「ジョン、手に入れたモノを守り抜く努力は必要よ? 他の人に取られたくないのなら、頑張って探していらっしゃい」 バーツの叫びに、誰も反論出来ない微笑みを浮かべ、夫人はひらひらと手を振った。 「隠れている場所のヒントはないのか」 「ヒントはありません。この町すべてが捜索の対象となります。」 「・・・・・・案外こんなところに隠れていたりしてな」 夫人の説明を聞いたダイヤモンドサーペントのクルーが、冗談半分に自分の横にあったゴミ箱のふたを開けた。 ドン! 耳を聾する爆発音があたりに響き、ゴミ箱からは濛々と黒い煙が立ち上る。 煙が薄れた後には、顔とは言わず体中を煤で汚したクルーの姿があった 「そうそう。忘れていましたわ。所々にこのような罠も仕掛けてあります。罠にかかってしまった方も失格となりますので、注意してくださいね」 突然の出来事に呆然としている面々に、夫人はにこやかに告げた。 「では……開始!」 ゴオオオオ〜〜〜ン 夫人が繊手を振り下ろし、甲板に用意されていた銅鑼がならされた。重低音が港に響き渡る。 居並ぶ人々は土煙を上げ、猛ダッシュで町中へと走り去っていった。 「さぁ……誰が来るかしら」 眼前から海賊の姿が一人残らずいなくなると、夫人は面白そうに呟いた。 NEXT |
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