猛禽のフィギュアヘッド。全体的に緑がかった船体。
そしてメインマストに大きく描かれた、クローバーをモチーフにしたエンブレム。
海で生きる者のみならず、陸で生きる者すらその名を聞けば震え上がる、古くから続く海賊クロウバード。
長い黒髪と肩に羽織った船長服を海風に靡かせて、青年は腕を組み甲板にたたずんでいた。
他国の海賊との抗争で大怪我をした先代に代わり、彼が5年前にキャプテンを継いだ。
共に3大海賊と目されているレッドスケルやダイアモンドサーペントに比べれば、船の大きさでは負けている。
しかし、青年が率いるようになってからのこの5年の間に、クロウバードは他の2つを圧倒するほどの規模になっていた。
今では国内一とまで噂されている。そして、それはほぼ事実であった。
何処を見渡しても水平線しか見えない海の上。その場所に彼の船は朝から停泊していた。
「キャプテン! 獲物が見えました!!」
見張りをしていたクルーの一人が叫んだ。
クルーが示した方向を、青年は受け取った望遠鏡で覗いた。
前方に米粒のように見えていた小さな影がだんだんと大きくなり、その姿がはっきりと見て取れるようになった。
どうやら大型の漁船のようだ。
「来たか」
青年は口の端をあげ、望遠鏡をクルーに投げ渡した。
「帆を張れ!!」
クルーに指示を出した。
彼の命令を遂行するために、クルー達が慌ただしく甲板を走る。
本来ならば漁船などクロウバードの獲物ではない。だが今回は違う。
その船は、不当に税を取り立て民から私腹を肥やしていた貴族の物だった。
溜め込んだ財宝を秘かに他国へ持ち出す為、海賊避けも兼ねて目立たぬ漁船で航海中であった。
錨があがり、全ての帆が風を受けて大きく孕んだ。
「全速前進!」
青年の号令と同時にクロウバード号は目標に向かって波を裂いていく。
相手もクロウバードに気づいたのか、逃げを打つべく進路を変え始めた。が、その動きは鈍重で、互いの距離はみる間に縮んでいく。
万一を考え、改造を施していたのだろう。漁船から砲撃が始まった。だが急ごしらえで設置された大砲では射程が足りない。
砲弾はクロウバードのはるか手前で海中に沈んでいく。
獲物を射程内に捕らえたクロウバードからも砲撃が始った。漁船が海賊船と渡り合えるわけもなく、船体に何発も打ち込まれ見る間に大砲は沈黙してしまった。
抵抗を封じ込めたクロウバード号が強引に接舷すると、衝撃で船が大きく揺れた。が、クルーは意に介さない。揺れが収まりきらぬう に乗り込み、財宝目指して走り出した。
彼らの略奪を阻止するため、船室に待機していた用心棒が続々と現れた。
だが狭い船内での戦い方を心得ているクルーにとって、山賊に毛が生えた程度の用心棒達はなんら障害にならない。邪魔者をことごとく斬り倒し、通路を駆けぬけていく。
財宝が置かれていると思しき部屋を見つけたクルー達。走ってきた勢いもそのままに扉を開け、予想しえぬ光景にその場でたたらを踏む事となった。
扉のすぐ向こうに、一人の少女が立ちはだかっていたのだ。
年の頃は18,9であろうか。少女から女へ変化する微妙な年頃で、その面立ちは大輪の花が開く直前の蕾を思わせた。
長く伸ばした金色の髪を背中で無造作にくくり、その手には外側に緩く反り返った細身の美しい剣が握られている。
大勢の荒くれ者を前にしているのに、翡翠色に輝く双眸に怯えの色は一切無い。
少女の後ろには積み荷と、船の持ち主である貴族がいた。貴族は床に這い蹲って頭を抱え、ガタガタと震えている。
「嬢ちゃん、怪我したくなかったらどきな?」
その場から一歩も動かぬ彼女に、先頭にいた男が一歩部屋に踏み込み、ドスの利いた声で凄んだ。
しかし少女は動かない。男達は少女が恐怖のあまり動けないのだと思った。
だがそれは間違いであった。
すっと少女の腕が上がった。男達に剣を突きつけ、ゆっくりと口を開いた。
「死にたくなければ戻りなさい」
「俺たちが……死ぬ、だって?」
静かな声に、クルー達の間でどっと笑いが起こった。
中には腹を抱えて涙を流している者までいる。
「嬢ちゃん、悪い冗談は無しにしようぜ。俺たちが誰か……」
ようよう笑いを収めた一人が近づこうと部屋に足を踏み入れた瞬間、銀光が閃いた。
男の胸に、一本の赤い筋が走る。
「それ以上進めば容赦しません」
「テメェ!」
激昂した一人のクルーが剣を振りかざした。
振り上げた剣はあっさりはじき飛ばされ、がら空きになった腹部に蹴りが入った。
細い身体から繰り出された一撃に、クルーの足は床から離れ、その身は背後にいた仲間達によって受け止められた。
続く何人かが狭い扉を抜けて斬りかかっていったが、尽く手首に裂傷を負わされる羽目になった。
さほど広くない扉は男2人が並んで通るのがせいぜいで、大勢で一度に斬りかかることは不可能だ。
次に打つ手を決めかねて歯がみすることしか出来ず、男達は暫し立ちすくんだ。
少女も積極的に討ってこない。
短い睨み合いが続いたその時。
「何をしている」
落ち着いた声が通路に響いた。
扉の前に陣取っていたクルー達が一斉に背後を振り向き、左右に割れた。
男達の間から悠然と現れたのは、彼らのキャプテンであった。
そこにいる男達とは明らかに違う雰囲気に、少女は僅かに身を固くした。
「貴方が親玉?」
彼女の戦慣れした佇まいに青年は微かに眉を跳ね上げ、腰に下げたライフルの銃口を向けた。
「クロウバードの行く手を遮る者がいるを聞いてみれば…。こんな可愛らしいお嬢さんとは」
「人を見かけで判断するのはよくないわ。貴方だって、まだ若造でしょう?」
クロウバードの名を聞いても全く恐れていない。それどころか彼を若造と言ってのける度胸に、グラフは内心舌を巻いた。
「お前の名は?」
「人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀では?」
切り返す少女にグラフはどこか楽しそうな笑みを浮かべ、
「それは失礼した。俺は海賊クロウバードを率いるキャプテングラフ。一族のしきたりで、ファーストネームは教えられないが、ご勘弁願おう」
右の掌を胸に当てると軽く礼をし、おどけた口調で名乗り終えた。
「 」
少女が名を告げた。
異国の、戦女神と同じ名だった。
「よく似合う」
「皆に言われるわ」
少女はふわりと微笑むと、自身に照準を合わされたライフルにチラリと目をやった。
「で? 国一番の海賊が、女相手に飛び道具を使うなんて卑怯な真似をするつもり?」
グラフは苦笑すると、ライフルの撃鉄を戻した。後ろに控えている副長に向けて右手を伸ばす。
クルー達がざわめいた。
ライフルを使うことの多いグラフだが、剣の腕も抜きん出ている。
彼と対等に渡り合える者はそうはいない。
副長は自らが握っていた剣をグラフへ渡した刹那。
グラフが動いた。
クルーの誰もが、血しぶきを上げて床に倒れる少女の姿を想像した。
強烈な打ち込みに、剣を受けた少女の身体が僅かに揺らいだ。
だがそれだけだった。グラフの剣は少女の身体を傷つけることなく流された。
グラフの繰り出す剣はことごとく流され、少女が斬りつける剣は全て受け止められた
互いを傷つけることが出来ぬまま数合打ち合ったところで、唐突にグラフが剣を床に突き立てた。
その顔には満足気な笑みが浮かんでいる。
「いい腕だ」
「あなたもね」
彼の心からの賞賛に、少女も笑顔で応えた。
「この船の用心棒を止めてクロウバードに来る気はないか」
「それは無理な相談ね。私は今、この人と契約しているから」
突然の申し出に少女は肩をすくめ、背後で怯えている貴族をちらりとみた。
「そんなもの破棄すればいい」
事も無げに言い放ったグラフに、少女は柳眉を逆立てた。
「無茶言わないで。この世界、契約は絶対よ。契約違反をすれば、今度は私がお尋ね者になるのよ?」
「そうか」
グラフの指が銃に伸びる。
次の瞬間。
少女が反応するよりも早く、耳をつんざく銃声が響いた。
「ひぃぃっ」
銃弾は少女をかすめ、彼女の背後でうずくまっていた貴族のすぐ脇に着弾した。
床板にごっぽりと大きな穴がうがたれる。
「何をするの!」
「交渉だ」
「交渉?」
「顔を上げろ」
グラフの声に、貴族が恐る恐る顔を上げた。
飛び散った木片がかすめたのだろう。冷や汗でてらてらと光る額からは血が流れている。
グラフの容赦ない視線と、ぴったりと向けられたライフルの銃口。
経験したことのない恐怖に、貴族は歯の根も合わぬほどに震えていた。
「彼女を今すぐ解雇すれば、財宝はこのまま残し、お前にも手は出さない。だが解雇しないのなら、財宝もお前の命もすべて頂く。どうする?」
「た、た、た……」
答えたくもと舌がもつれてまともに言葉が出ない。
「解雇するか?」
ライフルの撃鉄に指をかけ、再度グラフが訊いた。
顔面蒼白になった男は、ガクガクと頸骨が折れんばかりの勢いで首を振った。
少女に向き直ったグラフは表情を和らげ、
「だ、そうだ」
といった。
目を丸くして成り行きをみつめていた少女は軽く頭を振った。
「呆れた……。女一人のために、これだけの財宝を棒に振るつもり?」
「お前にはこの財宝以上の価値があると思っただけだが?」
「口が上手いわね? いいわ、条件を言ってちょうだい。それによって考えるから」
「報酬は、これから先手に入れていく宝の分配と母港アーバランで住む家の手配。それと、
俺のファーストネームを教える」
最後の言葉に少女は、あら、という表情を浮かべた
「しきたりで名乗れないのではなくて?」
「お前は特別だ」
「それは光栄だわ」
「どうする?」
暫しの間をおき、剣を鞘に収めた。グラフに右手を差し出しす。
「これからヨロシクね、キャプテングラフ」
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