猫と女神とクローバー



  
 キープグラバ。
 中立を謳うこの街に海賊船クロウバードが入港したのは、街が闇に沈んで暫くたった頃だった。
 クロウバード号のキャプテンであるグラフは船から降りると近くに係留された船へと視線を向けた。
 商船や客船、海賊船と大小様々な船が波止場へ接舷している中に一隻の船を見つけた。
 入港してかなり経つのだろう。女神を擁したその船の周囲に人の気配はない。
 グラフは作業を終え次なる命令を待つクルーに明日のスケジュールを伝えると解散を命じた。
 酒、博奕、女…自分達の欲求を満たすため三々五々、思い思いの場所へと散っていくクルー達。
 そんな彼らを見送り、いつも傍に仕えている副長達とも別れたグラフは普段泊まるホテルではない方向へと歩き出した。


 目指す建物は港からさほど離れていない場所にあった。
 宿屋もかねているその酒場は海賊達でほぼ満席になっていた。グラフは店内を軽く一瞥するとバーテンと2,3言葉を交わし、階段へと足をかけた。
 トントントン、と規則正しい足音をさせて階段を2階へ上がっていく彼の耳に、どこからかかすかに赤子の泣き声が聞こえてきた。
 堅気の者などまず泊まらないだろうこの宿に、赤子連れで泊まろうとは…随分チャレンジ精神旺盛な一般人もいたものだと感心しつつも、いつもより寄港する船が多かったから他に泊まる場所が無かったのだろうと一人納得し足を進めた。
 階段を上りきり通路へ進むといよいよ泣き声は大きくなっていった。さらになにやら言い争う様な声まで聞こえてくる。
 こんな宿しか取れなかったがための夫婦げんかだろうかと思っていると、その声は彼がよく知る者の声に似ている事に気がついた。
「ねー、いいでしょ!?」
「ダメだ、返してこい!」
「でも……」
「このままだと死んじゃうよ!」
「ちゃんと私たちで面倒みますから。お願いします」 
「ダメなものはダメだ。連れて行ったって育てられねェよ。どうせすぐに手に負えなくなるんだ。こんなのは育てられるヤツに任せるのが一番なんだ!」
「そんなのやってみなくちゃ分からないよ!こんなに小さいのに見捨てるなんて、 バーツには人の心ってものがないの!?」
「ちょっとまてっ!正論言っただけでなんでそこまで言われなきゃならねーンだっ!?」
 バーテンに教えられた部屋の前に到着したのはいいが、なにやらものすごい取り込み中のようである。
「なにやってんだ…」
 気づかれないようにそっとノブを回し、ほんの少しだけドアを開けて中を伺ってみれば———
 こちらを向き腕組みをして仁王立ちしているバーツがいた。
 そんな彼と向かい合っているのは彼の被保護者である2人の少年と少女———たしかココとミルカという名前———だ。
 泣き声は子供達から聞こえているようだが、ドアに背を向けているため彼らの腕の中の状態はわからない。
どこかで捨て子を拾ったのだろうか?
 面倒ごとに巻き込まれてはかなわない。このまま廻れ右をして帰ろうか…という考えが一瞬浮かんだが、子供達の声があまりにも真剣で、見なかったことにするには躊躇われた。覚悟を決めたグラフは深呼吸をするとコンコン、と軽くノックをした。
「誰だっ!?」
 言い争いの勢いそのままに、バーツが厳しい声で誰何する。
 だがそれぐらいで怯むグラフではない。ドアを開け何食わぬ顔をして部屋へと入った。
「取り込み中悪いな。邪魔するゾ」
「グラフじゃねェか!」
 闖入者の正体に気づいたバーツは眉間に刻んでいた皺を一瞬にして消し去った。思いがけない恋人の訪問に満面の笑みを浮かべ、両手を広げて抱きしめようとした。が、グラフはそれを見事なフットワークでよけた。
「と、っと」
 目標を失いよろけるバーツを尻目に、突然の訪問者に目を丸くして驚いている子供達の前へと回り込んだグラフが見た物は———
 ココとミルカ、それぞれの腕に抱かれる子猫であった。
 どうやら拾ったのは人ではなく猫だったようだ。
「キャプテングラフ!!」
「なんだ。赤ん坊かと思ったら猫か」
「お願い!キャプテングラフからもバーツに頼んで!って…赤ん坊?」
「ああ。子猫の鳴き声と赤子の泣き声はよく似ているからな。外から聞いてると赤ん坊の泣き声に聞こえたんだ。って、2匹とも三毛猫なのか。どうしたんだ、こいつら」
「この近くの路地で拾ったんです。馬車に轢かれたのか傍で母猫が死んでて…」
「そのままにしておいたらこの子達も轢かれそうだったから連れて帰って来たんだ」
「そうしたら宿のおじさんが三毛猫は船乗りには縁起がいいんだって教えてくれて」
「だから飼っていいかって頼んでるのに、全然許してくれないんだ!ヒドイと思わない!?」
 バーツがグラフにべた惚れしているをよーく知っているココとミルカはグラフを味方につけようと、代わる代わるに今までの経緯を説明していく。
 そんな子供達の考えを知ってか知らずか、グラフはミャーミャーと鳴き続けている子猫の頭をウリウリと指先で撫で続けている
「へー…。ちょっと抱かせてくれるか?」
「いいよ」
「はい」
 ココとミルカはグラフの差し出した両掌にそれぞれ抱いていた子猫を載せた。
 すると子猫達がぴたりと鳴き止んだ。
「あ、静かになった!」
「さすがに温かいな」
 小さな体は毛もまだ満足に伸びておらず、柔らかなハリネズミのよう。ほぼ地肌と言っていい腹部からダイレクトに伝わる体温に、グラフの表情もついゆるむ。
 掌に収まる程度の大きさでしかない子猫を一匹ずつ、前後左右くまなく観察していく。
「ふ~…ん…。生後一ヶ月ちょいって処か。おー、2匹ともジャパニーズボブテイルなんだな」
「ジャパニーズボブテイル?」
「ほら、尻尾が短くてポンポンみたいに丸まってるだろ? こんな猫をジャパニーズボブテイル、っていうんだ。」
「すごい!キャプテングラフって何でも知ってるんですねっ!!」
「そんな感心される程のことでもねェよ。『ジャパニーズ』の語源がなんなのか、までは分からねェんだから」
 ミルカが感嘆の声をあげると、グラフは照れくさそうに言った。
「しかもココの方はオスじゃねェか!」
「オスだと何かすごいの?」
「ああ。三毛のオスってのは滅多にいないんだゾ。だからメスよりもっと縁起がいいって珍重されてるんだ。ほら、ありがとな」
 グラフは観察を終えた2匹をココとミルカへ返した。ココは子猫を抱き、得意気にバーツへ訴える。
「ほら、バーツ聞いた!? こんなに珍しい猫なんだし、飼ってもいいでしょ!?」
「ダメだって言ってるだろォ!動物ならアリスだけで充分だ。そんなに珍しい猫ならなおさら戻してこい!俺達が飼わなくてもすぐに他の奴らに拾ってもらえるだろ!」
「アリスの時はろくすっぽ見もせずに飼ってもいいって言ったじゃないっ! アリスは良くてなんでこの子達はダメなのさ!?」
「あのときはあのときだろォ!? そいつらはアリスみたいにお前達にべったりしないから、船の中を走り回って揺れた拍子に海に落ちてもしらねェゾ!」
 バーツは頑として譲らなかった。
 事故の可能性に目をつぶり許可を出すのは簡単であるが、さほど広くない船のなか、好奇心旺盛な小動物が縦横無尽に駆け回るのだ。
 命持たぬ物であれば海に流されてしまっても、一日二日落ち込むぐらいですむだろう。だが小さな命を失ったとなればトラウマになりかねない。幼い子供達にそんな想いをさせる訳にはいかなかった。
「大丈夫だよ!そんなことないように僕とミルカできちんと面倒みるから!!」
 元の場所に戻しても他の人間に拾われる可能性が高いであろうことは分かっていても、一度関わってしまったからには自分の手で行く末を決めてやりたくて、ココはなおも食い下がる。
「…その猫を戻してくるか、お前が船を降りてその猫を飼うか2つに1つだ。どうする」
 バーツが冷ややかに言い放つ。
 滅多に見せないバーツの本気のまなざしに、彼から譲歩を望めないことを悟ったココは視線を傍らに立つグラフへ移した。
「キャプテングラフ…」
「参ったな…」
 すがるような目で見つめられ、グラフは頭を掻いてため息をついた。
「俺だって出来ればお前達の味方をしてやりたいが…バーツの言うことはもっともすぎるんだ。子猫なんてあちこち走り回るからな。スイートマドンナぐらいの大きさだといつの間にかいなくなっちまうゾ?」
「それじゃあ、クロウバードで飼ってもらえませんか?この子達、グラフさんのことが好きみたいですし」
 ココとミルカに返されたあともじっと彼を見つめている子猫達を観て、控えめにミルカが訴えた。
「そうだ! クロウバードはスイートマドンナよりずっと大きいんだもん、猫だって危なくないよ、きっと!」
 ココもすかさず賛同する。
 そんな子供達にグラフは首を振った。縦ではなく、横に。
「そりゃあ俺の船の方で飼えるならそうしてやりたいところだが、猫は日向ぼっこが大好きなんだ。けど陽の当たるところってなると、どうしても甲板とか大砲の上とかになるだろォ?、そんなところで寝ていたらバーツの言うとおり揺れた拍子に海に落ちちまう。ただでさえ俺の船は誰かさんがしょっちゅう突っ込んで来るしな。
だからといってヒモで繋いでおいたり狭いかごの中にずっと入れたままにする、っていうのも可哀想だろォ?」
「でも…」
「動物を飼う、ってことは可愛いからってだけじゃダメなんだ。きちんと環境のことも考えてやらないと、お前達もその子達も不幸になってしまう」
『……』
 膝を折って目線を合わせ優しく諭すように言い含めるグラフに、子供達も反論できず黙り込んでしまった。
「やっぱり…ダメなんだね…」
「諦めないといけないんですね…」
「ごめんね……」
 2人ともうつむき、子猫を抱きしめたまま肩をふるわせている
「こ~ら。早とちりするな。俺は戻してこい、なんて言ってないゾ?」
『え?』
 グラフの言葉に子供達は顔を上げて彼の顔を見た。
「クロウバードは補給が終った後はアーバランに戻る予定なんだ。船で飼うのはムリだけど、 俺の家で飼えばなにも問題はないだろォ?お前達が猫に会いたくなったらアーバランに遊びに来ればいい」
「キャプテングラフ…」
「いいんですか?」
「猫なら子供の頃飼ってたことがあるから扱いは慣れてるよ。なにより、元の場所に戻したくないんだろ?」
「ありがとう!」
 2人は子猫を抱いたまま、飛びつくようにグラフへと抱きついた。
「うおっ!?」
「グラフッ!!」
 腰を落としていたグラフは2人の勢いを支えきれなかった。傍に居たバーツが手を伸ばしたが一瞬遅く、グラフはバランスを崩し、尻餅をついた。
「痛っっっ」
 強かに腰を打ち付け、グラフの表情が歪んだ。
「大丈夫!?」
「ごめんなさい」
「ああ、大丈夫だ」グラフは立ち上がると詫びる子供達に笑顔を返した。
「ところでこいつらの名前を決めないとな。どんな名前がいいんだ?」
「え?」
「名前、僕たちがつけてもいいの?」
「ああ。俺はこいつらを預かるだけで、飼い主はお前達なんだから。そいつらも腹空かしてるようだし、下で何かエサもらってくるよ。その間に考えておくといい」
 子猫がココとミルカの指を甘噛みしているのに気がついたグラフはそれだけ言うとエサを調達するために部屋を出て行った。

「名前なににしようか?」
「格好いいのがいいよ!」
「海に関係する名前とかいいよね」
「ミケ男とミケ子で…」
「バーツは黙ってて」
 グラフを見送り名付けの相談を始めた2人。そこへ割り込んだバーツの声を【ザウルス君】の二の舞はゴメンとばかりにココがぴしゃりと遮った。
「ねぇ、セイレーンとかどうかな?」
「響きはいいけど…船を沈める精霊の名前だから縁起が良くないと思うな」
「そうよね…」
「僕はロデムにしようかな」
「ダメよ、ココ。ロデムは黒猫じゃないと」
「それならニャンコ先生とか」
「あ、あれ確か三毛猫だったよね!」
「そっちじゃないよ、キャット空中三回転の方!」
「…それ、古すぎない?どっちにしてもあんまり長い名前だとグラフさんが呼びにくいと思うし…」
「そうかなぁ?」
『う~ん…』
ああでもない、こうでもない、とココとミルカ2人で様々な名前の候補を挙げていくが、どれも決定打に欠けて決められない。
「だからミケ…」
「黙ってて」
「待たせたな」
 再び口を挟もうとしたバーツをココが冷たくあしらったところで、ほぐした鶏肉とミルクが入った皿を両手に持ちグラフが戻ってきた。
 それを床に置き、ココとミルカは子猫を床に降ろした。よほど腹を空かせていたのだろう、子猫達は一目散に皿へと向かい唸りながらエサにかぶりついていく。
「怒らなくても盗ったりしないのに…」
「まあ腹が減ってるときはそういうもんだ」
 ココのぼやきにグラフが苦笑いしつつ答えた。
「ところで名前は決まったか?」
「それがまだなんだ。なかなかいいのが思いつかなくて」
「出港するまでに決めればいいさ。ゆっくり考えていい名前をつけてやれ」
 そんなやりとりをしている間に子猫達はミルクの一滴まで綺麗に平らげ、我が身の毛繕いをはじめた。だが小さな身体を精一杯丸めるも顔が思うところに届かないのか、バランスを崩してはコロコロと転がっている。
「よし、腹一杯になったし、そろそろ寝るだろ。部屋に連れて帰ってゆっくり寝かせてやりな」
「うん」
「ありがとう、キャプテングラフ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 子猫を抱いた2人が部屋から出て行き、扉が閉められた瞬間。
「子供には随分と優しいんだなァ?」
 左肩に軽い重みが掛かり、まるで地の底を這うような声で囁かれた。
「ン~だよ。子供相手にヤキモチか?」
「…久しぶりにあった恋人にほったらかしにされれば、相手が誰だろうとヤキモチの一つや二つ焼きたくもなるだろうぜ」
 グラフが左肩に視線を向けるとバーツが顎を肩に載せたまま唇をとがらせそっぽを向いた。完全にすねている。
「ごめんごめん。あんまりにも2人が一生懸命だったから、つい、な」
 子供じみた仕草におかしさがこみ上げるのを懸命に押さえながらなだめていく。
「しかも俺のハグはよけたのに…」
 だがバーツはなおも口の中でごにょごにょと愚痴り続けている。
「だから悪かったって。お詫びにこれやるから機嫌治せよ」
グラフはバーツから離れるとポケットから小瓶を取り出し、それを彼に差し出した。
「ほら」
「ンだよ、これ」
 バーツは黒いあめ玉のような物がいくつも入っているそのビンを受け取り、ふたを開けた。
と、記憶にある匂いが鼻孔を刺激した。
「チョコレート?」
 訝しみながら中身を一つ取り出し口に含んだ。
「チョコってのは甘いモンだと思ってたが…随分苦いな」
「カカオ90%らしい。俺とお前の関係には、それぐらい苦い方が丁度いいだろォ?」
 僅かに眉根を寄せチョコを咀嚼するバーツにグラフはくつくつと笑いながら言った。
「いったいどういうことだ?」
「バレンタインだよ。」
「バレンタイン…」
 グラフの言わんとしていることが分からず尚も頭をひねるバーツだったが、彼から告げられた言葉に記憶を手繰っていく。
 と、何かに思い当たったのかポンッと手を打った。
「チョコレートを好きなヤツに渡す、ってあれかっ!」
「ああ。本来は告白したい相手に渡すもんらしいし、もう日にちも過ぎちまってるが…たまにはこんな事も…っ!?」
 ようやっと意図を察したバーツに笑みを浮かべて説明していたグラフだったが、急に抱き寄せられ唇をふさがれてしまった。
「それなら俺はミルクチョコレートよりも甘い時間をお前にプレゼント、だ」
 バーツは暫し塞いでいた唇を離すと、微かに頬を染めたグラフの耳元に囁き、再び口づけた。





FIN


2/22がネコの日と言うことで猫関連の作品がPixvにたくさんUPされていてのを見て、
我が家にはリアルで3匹猫がいるのだから何か一本!と思いついた物です。
幼少時に飼っていた猫がボブテイルの三毛猫でした。

猫の日とバレンタインは近いから纏めてしまえ!と書き始めたのはいいけれど、
バグラのくだりがものすごく難産でおまけ状態となってしまったのはご愛敬w。