デッドは一心に剣を振っていた。
ザギに肩口を割られ、為す術もなく一月近く寝たきりとなっていた間に失った勘を取り戻すために。
その日も、朝から剣を振り続けていた。一日中振り続け、日が傾き始めた頃になって漸く剣を振ることを止めた。
額に流れる汗を拭い、張りつめていた気をゆるめる。
ふと、周囲の異変に気が付いた。
剣を振っている間は集中していて気が付かなかったが、頬を優しく撫でていくそよ風や木々のざわめき、近くにいるはずの仲間の声など、一切の音や動きが感じられない。
デッドは訝しく思い、辺りを見回した。
ーーーーシュン。
無音が支配する中、彼の背後で風を切る音が響いた。
振り向くと、2m程離れた場所に一人の男が立っていた。
デッドのいる場所はちょっとした広場になっている為、5m四方には隠れられるような木など存在しない。
デッドは油断無く周囲の気配を探っていた。自分の周りには誰もいなかった、と断言できる。
にもかかわらず、男はそこに現れていた。
「ザギ……」
デッドが男の名を呼んだ。
現れたのは、一ヶ月前にバーツを襲い、デッドやクルー達を半死にせしめたザギだった。
「久しぶりだな、デッド」
ザギは表情を変えることなく、デッドの方へ歩みを進める。
デッドはザギから一定の距離をとるように後ずさり、剣を構えた。
一見丸腰だが、マジシャンの異名を持つザギが見た目の通りと言うことはあり得ない。
ココが剣を砕いてから丸一ヶ月。剣を鍛え直すには十分すぎる時間だった。
「そんなに警戒しなくてもいいだろう? 今日はホントに丸腰だ」
デッドの様子に足を止めたザギは、相変わらずの無表情のままで両手を広げて見せた。
デッドは構えを崩さず問いかける。
「何をしに来た?」
「見舞いだ」
「見舞い? 自分で殺しかけたくせにか?」
「言ったハズだ。俺はお前を殺したくなかったと。俺のターゲットはあくまでもジョン・バーツただ一人だ」
「そんなことはさせない」
ザギの言葉に殺気を漲らせた。
「その肩で剣を振るうか? 今のお前では俺に触れることも出来ないぞ」
確かにザギの言うとおりであった。ベッドから起きあがってまだ幾日も立っていない。
毎日のように剣を振っているとは言え、完璧にはほど遠い。
今の状態でザギを相手にするのは無謀極まりないことだった。
それでも、デッドは剣を下げなかった。
自分が勝てるとは、思ってはいない。勝てなくともザギの力を少しでも削ぐことが出来れば、後に戦うであろうバーツの負担を軽くすることが出来る。
そう思い。一月前の闘いの時以上の気迫をもって、ザギと対峙した。
「何故そこまでしてあの男を護ろうとする? お前には似合わない男だとは思わないのか?」
そのデッドの姿に、ザギがいまいましそうに呟いた。
「キャプテンは俺に死よりも尊い宝を指し示してくれた。その宝を護る為なら、俺はお前と差し違えることも厭わない」
「己よりも大事だと?」
「そうだ」
「妬けるね」
どこまでも真剣なデッドの返答に、ザギは口の端を微かに歪めた。微笑んだのだ。
「ならば、お前の手の届かない場所で、今すぐヤツを排除してみせようか?」
「!」
どこか楽しそうに紡がれたその言葉に、デッドが動いた。ザギとの間合いを詰めて、横薙ぎに斬りつける。
が、すでにザギの身体は其処にはなかった。
「俺には勝てないと言っただろう?」
デッドの背後に立ち、笑いを含んだ声で言うと、デッドが身体の向きを変えるよりも早く彼の右手首を取った。
その手を後ろに廻し、きつくねじり上げる。
たまらずデッドは剣を落とした。
僅かに眉根を寄せて痛みを堪えるデッドの、その顔をのぞき込むと、ザギは彼の耳元で囁いた。
「取引と行かないか?」
「取引?」
「そうだ。お前が俺の出す条件をのめば、お前のいない間はジョン・バーツに手を出さない」
「そんな約束、信用出来ると思うか?」
「信用する、しない、はお前の自由だ。ただ一つハッキリしているのは、俺は今すぐにでも奴を殺せると言うことだ」
「条件は……?」
「一日、俺の物になること」
「ふざけているのか?」
「ふざけていると思うか?」
ザギはデッドの顎に手を掛けると、強引に振り向かせた。
と、唇にヒヤリとした感触。
それがザギの唇だとデッドが理解したときには、重ねられた唇はすでに離れていた。
殴りつけようとザギの顔を睨み付けたデッド。表情一つ変えたことがなかったザギのその顔に、微かに感情の色が伺えて、思わず目を見張った。
「これで本気だって解っただろう? 返事を聞こうか」
デッドはザギから視線を逸らせて、俯いた。長い髪がデッドの顔を覆い、表情を隠す。
「どうする?」
デッドが顔を上げた。強い光を宿した瞳で、ザギを見返す。
「それでお前が満足すると言うなら、好きにしろ」
「そこまでヤツを想うか……。羨ましい限りだ」
その言葉にため息を吐くと、ザギは捉えた手首を解放した。そしてデッドの身体を軽く突き飛ばし、踵を返した。
その背に向かってデッドが声を掛ける。
「ザギ」
「安心しろ。その気持ちに免じて、お前のいない間はヤツを襲わない」
背を向けたままでデッドの呼びかけに応じ、そのままたち去ろうとしたザギだったが、足を止めると振り返った。
「っと……。忘れるところだった」
ザギの手から何かが放られた。
「見舞いの品だ」
夕陽を反射して光るそれを、デッドは左手で受け取った。
掌を開いてみる。
それは、生死を賭けた戦いのさなかに外れ落ちてしまった、デッドの剣の飾りだった。
デッドが顔を上げる。と、すでにザギの姿は何処にもなく、同時に止まっていた時計の針が動き出す様に、周囲も音と動きを取り戻す。
宿からは、ピートが作る夕餉の、いい匂いも漂ってきている。
眼前に広がるのは、いつもとなんら変わりない風景。
今の事は白日夢だったのではないかとも思えた。
だが、手の中にある剣の飾りが、先ほどの出来事が夢ではないことを物語っていた。
デッドはしばらくの間ザギが消えた方角を見つめていたが、軽く頭を振ると、落とした剣を拾い上げて唇を拭った。
そして踵を返し、仲間達の待つ宿へ戻っていった。
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