insight



  
 ラーアジノヴの南東に位置する港町、アーバラン。
 温暖な気候に恵まれたこの街は、他に類を見ないほどに豊かだった。
 豊かな街は山賊や海賊にねらわれるのが常である。だがこの街は国内最大級の規模を誇る海賊クロウバードの母港であり、手を出したが最後、完膚無きまでに叩きのめされる。
 そのため、そんな剣呑な街を襲おうという度胸のある者は現れたことがなかった。
 そう、今までは……。

 街を束ねる立場にあるキャプテングラフが誰も戻ったことのない場所へ旅だってから、数ヶ月が過ぎた頃。
 父の跡を継ぐ気配を見せぬ息子に海に生きる男達はしびれを切らし、新たな船を求めて一人、また一人と去って行く。
 それと比例するかのように、アーバランに剣呑な噂が流れだした。
 それは、山賊や海賊達がこの街を狙っている、と言う物だった。
 たかが噂、と笑い飛ばすことは出来なかった。キャプテンが不在の今、それは真実にほど近い。
 護りのいなくなった港など、危険極まりない。その港が豊かであればあるほど、海賊達が我が物にしようと押し寄せ、街や人々を蹂躙し尽くす。
 そのため街を護るべき存在が無くなると、人々は街を捨てて新たな住処を見付けるのが当たり前だった。
 しかし、この街の人々は誰一人として出ていかなかった。
 たった一人で「海賊の墓場」に挑んだキャプテングラフが戻って来ることを皆信じていたし、同時に、キャプテンの宝でありこの街の宝でもある彼の妻とその息子を、街の者皆が愛していたのだった。
 たとえ何があろうと、キャプテンが戻るまで街と宝は自分たちが護る。そんな気概が人々に溢れていた。


「姐さん、賊の襲撃です!」
 猛々しく扉が開かれ、20才を漸く超えたばかりだろう青年が一人、部屋の中に駆け込んできた。
 荒い息を整え、周囲を見回す。
 しかしそこには求める人は居らず、右目を眼帯で隠した、10歳にも満たぬ黒髪の少年が一人いるだけだった。
「坊ちゃん・・・・。姐さんは何処へ行かれました?」
 男は心持ち膝を屈めて、少年に目線を合わせ問いかけた。
「此処です」
 少年が口を開くより早く凛とした声が響き、隣室に通じるドアが開かれた。
「姐さん、そのお姿は!?」
 ドアへ視線を向けた青年が、驚きの声を上げた。
 そこにいたのは、少年の母であり、キャプテングラフの妻である女性。彼女は美しく結い上げていた髪を下ろし、ドレスを脱いで動きやすい服装に着替えていた。
 腰には異国風の、反りの入った細身の剣を佩いている。
 普段の優しげな雰囲気など、微塵も感じさせない。
「賊はどこから?」
 青年の驚きを無視し、女性――グラフ夫人が聞いた。
「それが…海から……数隻」
「そう……」
 躊躇いがちに伝える青年に、グラフ夫人の表情が僅かにくもる。
 山賊ならば撃退する自信はある。だが海賊となると話は別だ。
 キャプテンである夫が旅立って以来クルーの減少が激しく、今では両手の指で足りるほどしかいない。
 しかも残っているクルーは経験の浅いものが多い。船の指揮は素人である夫人が、海戦に不慣れなクルーを率いて船を出港させ、勝たなければいけないのだ。
 数瞬の沈黙の後、夫人は迷いを振り切るように軽く頭を振った。
「考えても仕方ないわ。なんとか白兵戦に持ち込むしかないわね……」
 白兵戦で勝敗を決めるのは剣の腕。首領格の船に乗り込み制圧さえすれば、勝機は十分にある。
「行きましょう」
 夫人は港へ向かうべく、青年を従え部屋を出た。
 が、数歩進んだところでその足が止まった。
 野蛮なことは嫌いだと、いままで船に乗る事を拒んでいたはずの我が子が剣を一振り、両手で握りしめて立っていたのだ。
「どうしたの?」
「僕も行くよ」
 母の問いかけに息子は固い声音で答えた。
 小柄な身体に似合わぬ大きさの剣を力一杯握りしめるその拳は白く、小刻みに震えている。
「あなたはダメよ」
 夫人はゆっくりとかぶりを振り、言った。
「でも、母さん一人だと危ないよ! 僕は男なんだから…父さんの代わりに母さんを護らないと……」
「……ありがとう」
 声を震わせながらも懸命に訴える。夫人は膝をついて腰を落とし、息子を抱きしめた。
「じゃあ、とっても大事な仕事をお願いしてもいい? あなたはピーチ達と一緒に、街の人達を安全な場所へ避難させてくれる?」
「でも!」
「海賊クロウバードが護るのは、母さんではなくてこの街。アーバランよ。わかるわね?」
 なおも言いつのろうとした息子に、夫人は重ねて告げる。
「……分かった」
 母の有無を言わせぬ響きに渋々納得した息子から体を離すと、夫人は傍らに立つ青年に視線を向けた。
「ピーチ。この子をお願いね」
「任せてください」
「それじゃあ、母さんは賊をやっつけてくるから。心配しないで待っていて」
 息子の額にキスをしてまるで日課の散歩に出かけるような口調で告げた夫人は、屋敷から出ると使用人によってすでに用意されていた馬へ跨り、港へ向けて駆け出した。


「姐さん!」
 馬から降りクルーの一人に手綱を預ける夫人の下に、背中まである髪を一本の縄編みにした男が駆け寄ってきた。
「出航の準備は?」
「出来てます。ですが・・・・」
「何があったの?」
「あれを」
 男が沖を指差した。指し示された方角へ視線を向けた夫人は驚きに目を見張った。
 港へ近づきつつある船団の後方に、船首にドクロをあしらった赤い大型船を認めたからだ。
「レッドスケル…」
 夫人は茫と呟いた。
 夫と共に海を巡ったことは多くない夫人ではあるが、その船のことはよく知っている。
 ラーアジノヴ3大海賊の一角を担う、海賊クロウバードのライバル。
 先行している船団がレッドスケルの配下であるのならば、それは現在のクロウバードにとって全く勝算のない戦いとなってしまう。
 しかし事態は急展開をみせた。クロウバードを出港させることも忘れ愕然とする夫人の眼前で、アーバランへ向かっていた海賊船達が続々と転進し始めたのだ。船団はレッドスケル号を包囲するように展開していく。だが所詮は数を頼りにした雑魚でしかない。レッドスケル号から砲撃が始まると間もなく、船団はほうほうの体で逃げ出していった。
 すべてを蹴散らしたレッドスケル号は悠々とアーバランに近づいてくる。
「姐さん…」
 同業者の突然の訪問にうろたえ身構えるクルー達を制し、夫人は来客を迎えるべく埠頭へむかった。
 波止場へ接舷し、梯子を下ろしたレッドスケル号から、赤い船長服を纏った褐色の男が姿を現した。
「キャプテンスパード。お久しぶりです」
 梯子のすぐ側で歩みを止めた夫人が、陸へと降りた男に向かって声をかけた。
「久しぶりだな。近くを通ったついでで寄ってみたんだが……、いらぬ世話だったかな?」
「いいえ。おかげで助かりました」
 礼を述べる夫人が差し出した右手を握り返しつつ、スパードは周囲にちらりと視線を走らせた。
「グラフの息子はどこだ?」
「あの子は街に避難させています。それで、御用は何でしょう?」
「・・・・何のことだ?」
「いくら近くを通りかかったからといえ、レッドスケルがわざわざこちらにお越しになるなど、普通ならあり得ませんわ。ということは、何か御用がおありなのでしょう?」
「参ったな……」
 静かに告げる夫人に目的を見透かされていたことに僅かに居心地の悪さを感じたのか、スパードはかるく頭を掻いた。
 咳払いを一つすると、
「イノガスイーダに来る気はないか?」
 といった。
「どういうことでしょうか?」
 唐突なスパードの言葉に、さしもの夫人も意味を掴みかねて問い返す。
「奴が居なくなって3ヶ月だ。クロウバードが海に出なければ、この街を狙うヤツがこれからは もっと増えていく。そうなれば今日のようなことが頻繁に起きるだろう。万一、他の奴らにこの街が制圧されてしまう事があれば、グラフの一族であるアンタ達はただではすむまい。息子が成長するまで、イノガスイーダで暮らすつもりはないか?」
 それだけ一息に言い切ると、スパードは口をつぐんだ。
 その表情は真剣そのもので、決して冗談を言っているようには見えない。
 ややあって夫人が軽く息を吐いた。
「……お心遣いには感謝します。けれど、私たちはこの街から出るつもりはありません」
「しかし…!」
「クルーは離れています。それは確かに止めることは出来ないことですが、街の人たちはいます。私たちが此処を去れば、誰がこの街に残りたいと思うでしょう。あの人が還ってくるまでこの街を護るのが、私たちの役目ですから」
「……海賊の墓場に行って、戻ってきたヤツはいないゾ?」
「存じております。けれど、あの人は約束してくれました。必ず帰ってくる、と。それに、街を捨ててしまっては、息子が海に出た時に戻る港がなくなってしまいます」
「グラフのガキは跡を継がないと聞いたが?」
 どこまでも静かな夫人の言葉に、些か意地悪な物言いと自覚しつつスパードは言った。しかし夫人の表情は全く変わらない。
「息子にはグラフの血が流れています。今は恐れていても、いつか必ず、海で生きることを選ぶでしょう。だからこそ、私たちは此処を離れるわけにはまいりません」
 腕を組み無遠慮に自分を見つめるスパードに気を悪くした様子もなく、穏やかな表情のまま答えた。
「…わかった。」
 夫人の強い意志にスパードが折れた。
「折角のご好意を・・・申し訳ありません」
「いや、俺が勝手に考えていたことだ。気にしないでくれ」頭を下げ詫びる夫人にスパードは軽く手を振って、言った。
「だが、クロウバードの後ろ盾になることぐらいは許してもらえるかな?」
「願ってもないことですわ。よろしくお願いします」
 スパードの言葉に夫人が笑みを浮かべ、右手を差し出した時だった。
「母さん!」
 幼子の声が2人の耳朶を打った。
 スパードの視線が夫人を通り過ぎる。ほぼ同時に、夫人も首を巡らせた。
「あら…」
 視界に入ったのは、こちらへ駆けてくる少年の姿。その後ろには世話係のクルーが慌てた様子で着いてきている。
「大丈夫!?」
「ダメじゃない、街にいないと。危ないから待ってなさい、っていったでしょう?」
 向き直った母の腰に抱きつき、心配そうな表情で見上げてくる息子を窘めた。
「申し訳ありません。危ないからとおとめしたのですが…」
 ようよう追いついたピーチが息を切らせて夫人に詫びる。
「ピーチを怒らないで! 砲撃の音がしなくなったから…、母さんが心配で僕がムリにここに来たんだ!」
 夫人が口を開くよりも早く、少年が言った。
 その言葉に夫人は息子の頭をそっと撫で微笑んだ。
「心配してくれたの? ありがとう。ほら、母さんなら大丈夫よ」
「よかった…」。
「初めて、だな坊主」
「おじさん…誰?」
 声を掛けられて初めて存在に気がついたのだろう。突然割り込んで来た見知らぬ男に、少年は母に抱きついたまま怯えた表情で見上げている。そんな少年の様子に、スパードは口の端にかすかに苦笑を浮かべて自己紹介した。
「俺の名はスパード。親父から聞いたことはないか?」
「スパード…? レッドスケルのキャプテンスパード!?」
 はじかれたように母から離れると、少年はスパードと母の間に立ちふさがった。
「父さんが居ない隙にアーバランを奪いに来たんだな!!」
「違うのよ。この人が賊をやっつけてくださったの」
 腰に差した短剣に手を伸ばした息子に、夫人が慌てて取りなした。
「そう…なの?」
「ええ、そうよ」
「誤解してごめんなさい、キャプテンスパード」
「ああ、気にするな。男の子ならそれぐらい勢いがあるほうがいい」
 剣から手を離し、ちょこんと頭を下げて謝る少年に、スパードが笑って答えた。
「さあさ、母さん達はもう少しお話があるから、貴方は街の人達にもう大丈夫って知らせて来てくれる?」
「わかった!ピーチ、いこっ!」
 少年は踵を返すとクルーの手を引き、街に向かって走り出した。
「あ」
 と、数M走ったところでその脚がとまった。
 くるりと振り向き、
「キャプテンスパード、街と母さんを助けてくれてありがとう!!」
 大きく手を振ってスパードに礼を言うと、再び街に向けて駆けていった。

「元気だな」
「ええ。素直ないい子ですわ…」
 暫し見送ったスパードが感心したように呟き、それに答えた夫人が何かを感じたのか、ふいっとレッドスケル号を見上げた。
 すると甲板から銀髪の少年が夫人達を見下ろしていた。
「やばっ」
「こんにちわ。君はどなた?」
「えっ…」
 慌てて隠れようとしたが少し遅かった。艶やかな花のような微笑を向けられ、少年の頬がみるみる朱に染まる。
 男所帯の海賊船、身近な異性と言えば同年代のキャプテンの娘しかいない。少年はどう反応を返せばいいのか分からずへどもどしていると、
「こらっ! サボってないでさっさと仕事しろ!」
「はーい!」
 夫人につられ仰いだスパードに見咎められてしまった。
 叱責され、少年は慌てて作業へと戻っていく。
「全く…。少し目を離すとすぐこれだ」
 スパードが肩を竦め独りごちる。
「あの子は? 見慣れない子ですが」
 我が子より幾分年かさの少年に興味を引かれたらしい夫人が問うた。
「ああ。以前立ち寄った村で俺の船に盗みに入ったガキだ。ジョンという。剣の腕はまだまだだが、根性は筋金入りだ」
「まあ。レッドスケルに忍び込むなんて!…将来が楽しみですね」
「グラフのガキと一緒でな」
 2人が声を上げて笑いあったその時、カーン、と正午を知らせる鐘が街中に鳴り響いた。
「…っと。長居しすぎたな」
「もうお帰りに? まだお礼もさせていただいてませんのに……」
「ああ。いろいろと予定が詰まっててな。礼は今度寄ったときにでもしてもらうさ」
 急な暇乞いに戸惑う夫人にスパードは薄い笑みを浮かべて言った。
「じゃあな。あんた達の息子と海で相まみえる日を、将来を楽しみにさせてもらおう」
 踵を返し、背中越しに右手を軽く挙げて別れを告げた。
「野郎共!出港だ!」


「キャプテン! 右舷に船です!」
「賊か!?」
 船の指揮を執るキャプテンスパードに、望遠鏡を覗いていたクルーが声をかけた。
 その声に反応して、銀髪の青年がスパードの隣へと駆け寄ってきた。
 クルーの示した先には、猛禽を模ったフィギュアヘッドを擁した船が航行している。
 スパードが望遠鏡を覗くと、甲板に緑色の船長服を着た男の後ろ姿が見えた。
「ホウ…」
 肩に届かぬ長さの髪を風に揺らし、副長らしきクルーに指示するその姿は、自分の記憶にあるのと違うもの。
 己の馴染みではない姿に、スパードの口元に知らず笑みが浮かぶ。
「右舷全砲門開け。 砲撃用意だ」
 キャプテンの静かな指令を受け、クルー達が命令を遂行するために持ち場へと散っていった。
「撃てー!」
 スパードの命令とともに放たれた砲弾が数発船に着弾し、外れた砲弾によって跳ね上がった水しぶきと共に船体を揺らす。
 突然の攻撃に慌てふためきながらも、右往左往するクルーに指示をとばす青年の姿がレッドスケルからも見て取れた。
 応戦の気配すら見せず逃げの一手を打つその船は、端から見たら無様な様子であったろう。
 だがその光景を見つめるスパードの表情に失望の色は一切無い。
 脳裏に浮かぶのは、見知らぬ男から母を護ろうと瞳に強い光を宿して自分を見据えていた少年。
 自らの好敵手であった男の忘れ形見。
「グラフの倅め……。自力で人を集め、やっと船を出せるようになったか」
「オヤジ……?」
「ジョン、覚えておいてやれ。お前の好敵手になるやもしれん男だ」
 かろうじて体勢を立て直し離れていく船を笑って見送り、傍らに立つ青年に伝えるその声音は感慨深げであった。




FIN

パパがいなくなった後のアーバランを書いてみたかったんです。
先代スパードが死んだ後、イノガスイーダから人がいなくなってしまけど、
アーバランでは少しでも残ってたらいいな、と思ったのが始まり。
それと、 パパがいない間、自分がママを護るんだ!って
普段は臆病だけど、「護る」時には本気出すグラフとか、よくね?


先代の副長はグラフが育つまでは側にいるんだけど、
自分にとってのキャプテンは先代であるパパなので
グラフが船を出せるまでに成長るのを見届けたら
先代を追って海賊の墓場に行ってたりすると萌える。