トンテンカン
厳しい寒さが過ぎ去り風が温みを帯びはじめたアーバランの港に金槌の音が響きわたる。
クロウバード号の出港を明日に控え、クルー達が補給のため慌ただしく働いていた。
「1,2,3…よし、これで全部かな」
「そっちはどうだ?」
先ほどからリストを片手に詰め込む荷物の最終チェックに勤しんでいるピーチに声を掛けたのは、クロウバードのもう一人の副長、ストロベリーであった。
こちらも左手にリストを持っている。
「こっちは全部OKだ。そっちはどうだ?」
「ああ、こっちも問題ない。船体の修理ももうすぐ終わるし、マストやロープ、すべて異常なし、だ」
どうやらストロベリーは船内のチェックをしていたらしい。
「それはなんだ?」
ストロベリーがリストの他になにやら紙の束を持っていることに気づいたピーチが問うた。
「これか?点検前にキャプテンから預かったんだ。今日入った新人の書類だと。補給が終わったら倉庫前に集合する手はずになってるから、俺達2人でこの後面通しして人員配置を決めてくれ、とさ」
そう言ってストロベリーは十数枚の書類をピーチへ手渡した。
ピーチは受け取った書類の束をぱらぱらとめくっていく。
名前や年齢等、さまざまな個人情報がそこには記されていた。
「多いな…近年稀に見る大量補充じゃないか」
一人一人面談をし、適正を考えて配置を決めていく。その手間を考えたピーチの口から思わずため息が漏れた。
「仕方ないさ。こいつを建造してからこっち、全くクルーを補充してなかったんだ。ここらで一気に補充して慣らしていくつもりなんだろう」
そんなピーチの様子に苦笑を浮かべたストロベリーは、傍らの船を見上げて言った。
海賊船クロウバード号。
代々続いてきた船はライツワイズとの決戦で沈んでしまったため、これは決戦後新たに建造された、彼らにとって2代目となる船だ。
以前の船に比べればかなり小振りになっているものの、その分機動力は上がり、クロウバードの名に恥じぬ働きをしている。建造されて幾年月。どこもかしこもピカピカだった新生クロウバード号は、繰り返される海賊行為によって今ではあちらこちらに痛みが目立ち始めていた。
「新人を受け入れるなんざ、こいつも一人前になったってことだな」
「ま、その分俺たちも歳を取っているってことだけどな」
2人は傷つき、修復された箇所を愛おしげに撫でていく。
「思い出すよなあ、初めてクロウバード号に乗った日のこと」
「んだなあ、あの日もこんなにいい天気だったよな」
海賊によって交易が行われているこの時代、海賊の母港である街に住む男の子の殆どが将来の夢に『海賊』をあげる。
だが、簡単に海賊になれるほど現実は甘い物ではない。
資質その他、様々なハードルをクリア出来たとしても船には定員という物があるのだ。危険な稼業だから病気や怪我などで欠員がでることはよくあるが、欠員の補充も補給と共に他の港でされることも多く、海賊になることを夢見ながらもチャンスに恵まれないまま諦めてしまう者の方が遙かに多い。
そんななかで、彼らは運良く船に乗ることが出来た。
念願かなった2人へ副長が与えた仕事は、彼らと同じく初航海となるキャプテンのひとり息子の世話係であった。
「せっかく海賊になれたのに子守か、ってがっくりしたっけな〜」
「ああ、俺もだ。先代は子煩悩だったから、その子を任されるのは名誉なことだって頭では分かってたけど…やっぱりなァ」
「でもなあ」
「なあ」
『キャプテンのお世話係じゃなかったら、今ここにはいなかったな』
顔を見合わせ、声を揃えてしみじみと言った。
「両手で俺たちを引っ張って楽しそうに船の中を探検するキャプテンは可愛かったよなあ」
「そうそう。あの姿をみたら、世話係を止めたいなんてそんな気持ちふっとんじまったもんなァ」
2人の脳裏に浮かぶのは、グラフの幼いときの光景。
初めて顔を合わせたとき、父親の長い足に隠れ、恥ずかしそうにしていた少年。
何とか馴染んでもらおうと考えた2人は、出来うる限りの笑顔を作って言った。
「俺達も船に乗るのは初めてなんです。一緒に船内を探検してみませんか?」
「…うんっ!」
『探検』という言葉に少年は瞳を輝かせ、父から離れて2人の手を取った。
甲板を見学し尽くし、船内へと移動する頃には少年は2人にすっかりなついていた。
それからは少年が父であるキャプテンと共にいるときは海賊としての雑務をこなし、キャプテンが多忙な時は少年の求めに応じて鬼ごっこや隠れんぼといった子供の定番の遊びから、剣の稽古などの相手を務めた。
そんな日々が続いたある日、少年は笑顔で言った
「あのね。僕、父さんと母さんの次にピーチとストロベリーが大好きだよ」
その言葉だけでも感涙に咽ぶに充分だと言うのに、続く少年の言葉は2人の顎を外すに充分すぎる物だった。
「だから僕の名前、教えてあげる」
グラフ一族は真名を伏せられていて、普段は通称で呼ばれている。それを知ることができるのは、一族以外ではごく限られていた。
すなわち、伴侶となる者。もしくは己の命を預けるに足る程に信頼できる者。
「とんでもない! 俺たちなんかに教えたりしたら、坊ちゃんがキャプテンや姐さんにしかられます!!」
慌てふためく2人に、少年は首を振って言った。
「父さんと母さんにはちゃんと言ってあるから。2人になら教えてもいい、っていわれたから大丈夫だよ」
限られた者しか知ることの出来ない真名を告げてくれた少年の思いに応え、何があっても彼を護ろうと決意を新たにした2人だったのだが…。
「キャプテンの片眼…俺たちが目を離した隙の事故だったよな…」
突如遭遇した嵐。
帆をたたむのに人手が足りないだろうからと、ピーチとストロベリーは少年を船室に一人残し、甲板作業の手伝いに向かったのだった。
始めは言いつけられた通りに部屋でじっとしていた少年だったが、揺れる船と雷に怯え、甲板に上がってきてしまった。
その時突風にあおられたマストのロープが一本外れ、その先に付いた錘が少年の右目を直撃した。
「あのとき、俺かお前かどちらかがキャプテンの傍についておかなきゃいけなかったのに…」
「先代も姐さんも俺たちを責めなかったよな……」
先代キャプテンは己の迂闊さを責め詫び続ける2人に怒りをぶつけることをせず静かに佇み、夫人は事故は誰のせいでもないのだから気しないようにと穏やかに言った。
それでも居たたまれず船を降りようとした2人を引き留めたのは、夫人でもなく先代キャプテンでもなく、片眼に包帯を巻いた少年であった。
「2人とも船を降りちゃダメだよ」
「ですが…」
「今回のことは俺達の不注意が原因です」
「俺達にはこれ以上坊ちゃんのお世話係を務める資格は…ありませんから…」
己を責め続ける2人に、少年は首を振った。
「「この怪我は僕が言いつけをちゃんと守らなかったせいで、2人のせいじゃないよ。それに僕はもう船に乗らないんだ」
『ぼっちゃん!?』
「船のことが怖くなったから…」
突然の言葉に驚きの声を上げた2人の視線から逃げるように少年はうつむき、ポツリと言った。
「クロウバードを継がないけど…それでも僕と一緒にいてくれる?」
不安げな表情で2人を見上げ、すがるような瞳で見つめる。
「それはもちろん!」
「坊ちゃんが許してくださるなら、俺達はずっと傍にいます」
「ホント!?」
即答されたその言葉に迷いはなく、少年の顔に安堵の笑みが広がった。
「ですが、坊ちゃんが船に乗らないのでしたら尚のこと、俺達だけが船に乗り続けるなんて…」
「ねえ、聞いて。僕は大きくなったら海賊じゃなくて商人になりたいんだ」
なおも躊躇いを残すストロベリーの言葉を遮るように少年が言った。
「だからピーチとストロベリーには僕が商人になったときに困らないように、2人にはいろんな街のいろんな物を見てきてもらいたいんだ」
「そうですか…」
「分かりました」
「坊ちゃんのために、見たこともない物をいっぱい持って帰ってきます!」
自分達を必要としてくれている少年のために、2人は船に乗り続けることを決めた。
だが程なくして先代グラフが海賊の墓場へと向かい消息を絶った。
率いる者の居ないクロウバード号は海にでなくなり、多くのクルーがキャプテンが戻らず次代は継がぬクロウバードから離れていった。
しかし彼らは街を離れず残った。
賊からキャプテン不在の街を護り続け、少年が青年となりクロウバードの名を継いでからは2人副長として彼を補佐し、名を告げた彼の信頼を裏切ることをせず常に彼の傍らに居続けた。
「副長になってからは結構大変だったなァ」
「バーツに襲われることはしょっちゅうだったし…」
「キャプテンは逃げ足はやいしな〜」
「3人そろって海に沈んだ時は本気でダメかと思ったよなァ」
「色々あったよな」
「あったな…」
「でもよォ…幸せだったよな」
「ああ。坊ちゃん以外のキャプテンなんて考えられないぐらいにな…」
「ピーチ!」
「ストロベリー!」
思い出に浸る2人を呼ばわる声がして2人はそちらへ視線を向けた。
小さな手を大きく振りながら2人の幼子がこちらへ駆けて来るのが見えた。
その後ろをゆったりとした足取りで彼らのキャプテンがついてくる。
『ターッチ!』
それぞれに両手を広げ、飛びつくように抱きついてきた幼子を2人は優しく抱き留めた。
「どうしました?おふたりとも随分嬉しそうですね?何かいいことがありましたか?」
「えへへっ」
抱き上げられはにかむ子供達の代わりに、2人の前で足を止めたグラフが口を開いた。
「ピーチ」
「はい」
「ストロベリー」
「はい」
名を呼ばれ、子供達に向けていた表情を引き締めグラフを見遣る。
「明日の航海からこの子達を連れて行く。よろしく頼むゾ」
『了解しました』
グラフの言葉に答えた2人は腕の中の子供に視線を落とし、笑いかけた。
「よかったですね」
「嬉しいですか?」
「うん!だって父さんのお船に乗れる日をずっと楽しみにしてたんだもんっ!」
「明日からみんな一緒だよっ!」
「ピーチとストロベリーは? 嬉しくない?」
「とォんでもない!俺達もお二人とご一緒出来る日を心待ちにしてましたよ?」
ストロベリーが満面の笑顔で答えた。
「よかったぁ」
その返事にニッコリと笑い、ストロベリーの首にぎゅっと抱きついた。
「さ、そろそろもどろうか。ピーチとストロベリーもまだお仕事が残ってるからね。邪魔にならないようにしないと」
副長と子供達のやりとりを見守っていたグラフが口を開いた。
『は〜い』
促されて子供達は2人の腕から降りた。
「バイバイ、また明日ね!」
「あしたね!」
グラフの傍に戻った子供達は彼らに向かって手を振ると、ピーチとストロベリーも笑顔で手を振り返す。
グラフを真ん中にして手を繋ぎ、街へと戻っていく。
キャプテン親子が見えなくなるまで 見送った2人は
「よーし、新しいクルーに面談だ。忙しくなるぞ!」
彼らが仕える主の宝を託すにふさわしい人選を行うべく、新人クルー達が待つであろう倉庫へ向かっていった。
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