クロウバードキャプテン、グラフは航海の間、目覚ましなどかけずとも毎日同じ時間に目覚める。
不寝番のクルーを除くと誰よりも早く目覚め、一日の仕事を始める。
海の上で大勢のクルーの命を預かるキャプテンとしてそれは当然の事だと、彼は考えていたからだ。
だがそんな彼も母港の我が家へ帰れば、自然に目を覚ますことをはない。
彼の目覚めを誘うのは美しい妻の優しい声と、鼻腔を擽るコーヒーの香り。
閉じられていた瞼を開けると、ベッドの横にはコーヒーを載せたトレイを持って微笑んでいる妻の姿。
コーヒーはもちろん最高級。
ベッドから身体を起こし、妻にキスをして、ゆったりとコーヒーを飲む。
そうしてグラフの一日は始まるのだった。
バタン!ズドドドド・・・・
ドスン!!!!!!!
「ぐはっ!!!!」
いきなりの衝撃に、ダンディなグラフとは思えないような呻きを口にして、目が覚めた。
「おはよう、父さん!!」
勢いよく腹の上に乗って来たのは、愛しい一人息子だった。
愛息子はグラフの腹の上で、朝日すら霞むような満面の笑みを浮かべている。
その顔立ちは妻に似ていて、世界で一番愛らしい、とグラフは常日頃思っていた。将来もかくや、と容易に想像できる。
「起きて!もう朝だよ!!」
息子はグラフの腹を跨いだままで、何度も跳ねた。そのたびにグラフの口から微かな呻きが漏れる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
腹の上で飛び跳ねる息子に揚々声を掛ける。
息子は飛び跳ねるのを止めて、大人しくグラフの腹の上に座った。
グラフは脂汗をダラダラ流しながらも我が子を窘める決意をし、腹の上に跨る息子に厳しい眼差しを向けた。
「息子よ・・・」
「なぁに?」
にこにこ
愛息子は、怒られる事など全く頭に無いようで、無邪気に微笑んでいる。
その微笑みを目にした途端、窘めようというグラフの思いは何処かに吹っ飛んでしまった。
「いや、何でもない。・・おはよう」
「おはよう」
家族にしか見せない、最上級の笑みを浮かべて身体を起こすと、息子を抱き寄せ日課であるおはようのキスをした。
息子は頬にあたる唇の感触にくすぐったそうに身を捩る。グラフがキスを終えると、今度は息子がグラフの頬を小さな両手で包み、その頬にキスを返した。
息子を膝の上に乗せたまま、サイドテーブルの上にある時計に目をやる。針は朝の6時を刺していた。
「どうしたんだい? 今日は随分早起きじゃないか」
まだ幼い愛息子はいつも8時に目を覚ますハズなのだが。不思議に思ったグラフが息子に問うた。
「んとね、父さんと早くお話がしたかったから! だから昨日は早くねたんだよ!!」
息子が首筋にキュッと抱きついた。
にへら〜〜〜〜〜
【パパ大好き】攻撃に、グラフの顔面は思いっきり崩れた。
「そ〜か、そ〜か。父さんもお前と早く遊びたかったから、急いで帰ってきたんだぞ〜〜」
グラフも負けじとぎゅ〜〜〜〜〜〜〜と息子を抱き返し、柔らかな頬に頬ずりをした。
息子のプクプクした頬に、ザリザリとした感触が伝わった。
「父さん、おひげ・・・」
息子は不思議そうな表情をうかべて、グラフから顔を離した。
グラフは慌てて自分の顎を撫でてみた。
僅かに伸びた無精ひげが、掌に当たった。
いつもならきちんと剃って息子とスキンシップを取るのだが、今日は息子の奇襲によって起こされてしまったため伸びたヒゲがそのままになっていたのだった。
「ああ、痛かったかい? ごめんな」
大事な息子に少しでも痛い思いをさせてしまったことを詫び、優しく頭を撫でる。
「ううん、父さんのおひげだもん。平気だよ」
そう言って息子はヒゲの感触を確かめるように父の顔に頬ずりをした。
その愛らしさに心の内で涙しながら、グラフは愛息子を抱き締めた。
と、そこへ
「2人とも、朝食の用意が出来ましたよ」
ドアがノックされ、妻が顔を覗かせた。
グラフは妻に向かって頷くと、息子を抱え上げ膝の上から床におろした。
「先に行っていなさい。父さんは後から行くから」
「うん!」
息子は大きく返事をすると母の元へと駆け寄り、手を繋いでグラフの部屋から出ていった。
その姿を微笑ましく想いながら見送ったグラフはベッドから立ち上がり、洗面台へと向かった。
グラフは昨晩遅くに帰港し、それから雑多な作業を終えて自宅へと戻った。
眠っている我が子におやすみのキスをしてベッドに潜り込んだのは、深夜3時を過ぎた頃だった。
今は6時。3時間しか寝ていないが、元々の体力が桁違いなので少々の睡眠不足など物ともしない。
まだ冷たい水で顔を洗い、僅かに伸びたヒゲを剃る。
そり残しがないか鏡で念入りにチェックをいれた後、自室へ戻った。
海の上ではないから船長服とペンダントは壁に掛けたまま、いつもの服に着替えた。
どこから見ても一分の隙もなく身支度を整えたグラフは息子と妻の待つダイニングルームへと足を運ぶ。
ダイニングルームの扉を開けると、そこは焼いたパンの香ばしい匂いで満たされていた。
妻に挨拶のキスをして席に着く。すると、それまで大人しく座っていた息子が席を立った。
椅子に座ったグラフの方へテクテクと歩いてくる。そしてグラフの膝の上に、ちょこん、と小さな手を乗せた。
「お膝に乗ってもいい?」
グラフを見上げ、甘えるように言った。
「おいおい、どうしたんだい?今日はえらく甘えん坊さんだな」
「あらあら。ダメよ、自分の席に戻りなさい」
「いいじゃないか。久しぶりだから、父さんが食べさせてあげるよ」
妻が優しく窘めるが、甘えん坊な息子にグラフの顔は緩みっぱなしである。
グラフは息子を抱き上げ、膝の上に乗せた。
メニューは生みたて卵で作ったスクランブルエッグと自家製ハム。もぎたてフルーツで搾ったフレッシュジュース、今朝菜園で収穫してきた野菜で作ったサラダに焼きたてのパン。
3人で囲むには広すぎる程の大きさのテーブルの上に広げられた朝食は、グラフ家で採れたものばかり。全て妻の手作りだった。
グラフは膝に乗った息子に朝食を食べさせてやりながら、今回の航海で起きた出来事を話してやった。
息子は瞳を輝かせながら、グラフの冒険譚に聞き入っている。
「ねぇ、父さん。ぼく、いつになったらお船に乗せてもらえるの?」
「そうだな・・・。それにはまず、好き嫌いせずに人参を食べられるようにならないとな」
グラフは息子の顔をのぞき込み、微笑みを浮かべた。そして皿に残っていた人参をフォークで小さく切り刻む。
それを一切れ突き刺すと、息子の口元へと運んだ。
息子はグラフの顔と人参とを交互に見て、泣きそうな表情でイヤイヤと首を振った。
その姿を見た途端人参を下げたい気持ちに駆られるグラフ。だが、父親として我が子の好き嫌いを直す義務があると自らに言い聞かせ、優しく言った。
「ちゃんと食べないと、いつまで経っても船に乗れないぞ?」
息子はジッとグラフの顔を見つめていたが、ギュッと目を瞑ると、おもむろに人参を頬張った。
そのまま噛まずに飲み込むと、目を開けてグラフを見た。
その目には涙が浮かんでいる。
「よ〜し、よしいい子だなァ」
グラフは息子を抱き締めて柔らかな頬にキスをした。
和やかに朝食が終わると、彼を待つのは父親ではなくキャプテンとしての時間。
船長服に身を包み、腰にライフルを提げ、グラフは港へと足を運んだ。
航海を終えたばかりだから、暫くは出航する予定はない。
クロウバード号の掃除と手入れを指示し、航海日誌を纏め、今回手に入れた宝をクルーに分配していく。
それが終わると、今度は街の巡回が待っている。
留守の間に入り込んだ賊が居ないか、もめ事が起こっていないかチェックしていくのも、クロウバードキャプテンの重要な仕事だ。
馬に乗り、街の隅々を見て回っていく。
街の人々はグラフに気軽に声を掛けてきたりはしない。畏敬の念を込めて、遠くから挨拶するのであった。
何事もなく街を一周し終わった頃には丁度お昼になっていた。
厩へ馬を戻したとき
「父さ〜〜〜〜〜〜ん」
息子がパタパタと走ってくるのが見えた。
その手には大きなバスケットを提げている。
「ああ!走るんじゃない!!転ぶぞ!!!!」
グラフがハラハラしながら息子に声を掛けた途端。
「ぁっ!」
何かに躓いたらしい息子がベション、と豪快に転んだ。
「大丈夫か!!!??」
グラフは顔面蒼白になって、倒れ込んだ我が子の側へと瞬時に駆け寄る。
どれほど動こうとも肩に羽織った船長服が落ちたりしないのは、見事としか言うほか無い。
「うん・・・・」
息子は瞳にちょっと涙を滲ませながらも立ち上がり、パタパタと服に付いた土を払った。
グラフは膝を折ると視線を息子に合わせて微笑み、優しく頭を撫でてやった。
「よく泣かなかったな。えらいぞ」
「うん、だって父さんの子だもん!」
息子は僅かに滲んだ涙を拭うと、笑顔で答えた。
「でも……お弁当が……」
転んだ拍子に息子の手から離れてしまってたバスケットを、グラフは手を伸ばして拾った。
中身が崩れていないか確かめるため、おそるおそる蓋を開た。そして2人一緒にのぞき込む。
バスケットの中は妻の愛情がこもったサンドイッチと、菜園で取れた果物だった。
崩れてるような中身でなかったことにホッと胸をなで下ろし、グラフは息子の手を引いてお昼を食べるに丁度いい場所を探して歩いていった。
そして港の片隅に並んで腰を下ろすと、バスケットの中身を取り出した。
夢中になって食べる息子の、口の周りに付いたパンのカケラを取ってやったりしながら、仲良く食べていく。
「今日は一緒にお風呂に入ろうな」
「うん!」
久しぶりの親子団欒。ほのぼのと時間は過ぎていく。そんな2人の元に、グラフを探していたらしいクルーが息せき切って現れた。
そのクルーの様子を見て取ったグラフの表情が、穏やかなものから険しいものへと変わる。
その時だった。
ドーン
港に砲撃音が轟いた。
何事かと海の方を見てみると、視線の先には赤ドクロの船が。
「あんのクソヒゲがぁ!!!」
グラフはレッドスケルに我が子との大事な時間を邪魔され、怒り心頭。
立ち上がるとクルーに我が子を任せ、船長服を翻して走り出した。
額に青筋を立て、悪魔もしっぽを巻いて逃げ出しそうな呪いの言葉を吐き散らしながら、レッドスケルを迎え撃つためクロウバード号へと向かったのだった。
レッドスケルを退け、僅かではあるが被害を被った街の修復の指揮を執り終えて帰宅した頃には午後9時を廻っていた。
朝が早かった息子は待ちくたびれてしまったのだろう。グラフのベッドで眠っていた。
我が子の天使の様な寝顔を見つめていると、ついつい顔がほころんでしまう。親ばかな自分を叱咤するために頬を叩いてみても、顔のゆるみは戻らない。
グラフは息子を起こさないように注意しつつそっとベットに入った。
「おやすみ」
眠っている息子を抱き寄せそっと額にキスをして、灯りを消した
明日こそ背中の流し合いをしようと心に誓って、グラフも眠りについた。
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